マンモグラフィと超音波検査から2週間以上。いよいよ結果を聞く日がやってきました。
※本記事はプロモーションを含みます。
この数週間、夜眠りにつくまでスマホで調べまくる日々。「これが正解かも」と思える情報を見つけては、また別の情報に振り回される。結局、確信が持てる答えには辿り着けないまま、不安だけが頭の中をぐるぐると巡っていました。
当日、病院の待合室で名前を呼ばれるまでの時間は、心臓の音が聞こえるほどハラハラして落ち着きませんでした。皮肉なことに、この数週間は乳頭からの分泌物も止まっていて、「検査、受けなくても良かったかも?」なんて思うほど体調に異変はなかったのです。
1. 医師の沈黙と、念入りな再検査
診察室に呼ばれると、確認のためにもう一度超音波(エコー)検査が行われました。
医師の手が、右乳房の上を何度も何度も、念入りに行ったり来たりします。
「何も見つかりませんように。もし何かあっても、薬で治るような軽いものであってほしい」
祈るような気持ちで天井を見つめていました。
しかし、その祈りは届きませんでした。
診察室に入り、医師の表情を見た瞬間、言葉よりも先に「あまり良くない結果なんだな……」と悟ってしまったのです。
2. 「癌の可能性が否定できません」
案の定、医師の口から出たのは、私の淡い期待を打ち砕く厳しい言葉でした。
「癌の可能性が否定できません。さらに詳しい検査が必要です」
頭の上にズーンと重い石を置かれたような感覚。
「まじか……勘弁してくれ……」
心のなかでそう呟くのが精一杯でした。右乳房だけでなく、脇のリンパにも気になる部分があるというのです。
「癌の可能性」
その言葉が、まるで他人事のように耳を通り抜けていきました。
あんなに願っていた「薬で治る軽いもの」という希望は、一瞬で崩れ去ったのです。
目の前が真っ白になり、次に何をすればいいのか、誰に相談すればいいのか。
診察室を出たあとも、ただ呆然と立ち尽くすことしかできませんでした。
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医師からの言葉を、ただ受け止めることしかできなかったあの日の私。
**「これからどう病気と向き合っていこう……」**と、答えの出ない不安で心がいっぱいになり、ただただ静かな絶望の中にいました。
あのがんと告げられた真っ暗な夜、もしも誰かにこの「やるせなさ」を吐き出せていたら、あんなに一人で抱え込むことはなかったのかもしれない……。そう思うのです。
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家族にも言えない弱音も、どうしようもない不安も。一人で飲み込みそうになった時、ここなら、顔を見せずに文字にするだけでもいい。長い夜、あなたの心がほんの少しでも、一息つける場所になりますように。
3. 理解が追いつかないまま交わした「同意書」
そこから先の記憶は、どこか現実味がありません。
医師から検査の説明を受け、大まかな内容を理解して同意書にサインをしましたが、心はどこか別の場所に置いたままのようでした。
提示された検査は2つ。
• 右乳房:吸引式乳房組織生検
• 脇リンパ:コア針生検
この文字面を見るだけで、気持ちが重く沈んでいきます。やっと結果が聞けると信じて長い時間を待ったのに、突きつけられた現実は「さらに詳しく、さらに痛そうな検査が必要」というものでした。
4. 家族への沈黙と、「太い針」への恐怖
検査は1週間後。
家族には心配をかけたくなくて、「最終的な結果が出てから話そう」と心に決めました。
それにしても、今度は針生検。医師が言っていた「太い針」という言葉を思い出し、病院で痛い思いをするのが何より苦手な私は、また深い不安の中に突き落とされました。
避けては通れない現実。
また始まる、不安な日々。
私はこの時間を、どう過ごしていけばいいのだろう……。
【この記事のまとめ】
「癌の疑い」という言葉の重さに、ただただ呆然とした一日。
でも、向き合わなければ何も始まらない。
次回は、恐怖でいっぱいだった「針生検」の体験についてお話しします。
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乳がん体験談【第5話】なぜ「悪い方の確率」ばかり突破してしまうのか。検査の階段を登り続けた絶望感
※あくまで個人の体験であり、医療的なアドバイスではありません。診断や治療については、必ず専門の医療機関にご相談ください。