ドクターヘリで搬送されている間、私はただ、自分自身の身に起きている非日常的な状況に追いつくのが精一杯でした。
※本記事はプロモーションを含みます。
横たわったまま見える限られた景色。「まるでドラマみたいだ」とどこか他人事のように感じる一方で、意識は途切れ途切れ。お腹の子の状況も分からぬまま、ただ助かってほしいと祈り続けていました。
1. 逃げ出したいほどの恐怖。「麻酔なし」の羊水検査
大病院に到着し、意識がはっきりしたときには、すでに処置室に運ばれていました。お腹にかけられた、手術用の緑色の布。ものものしい雰囲気に、一瞬で恐怖がこみ上げます。
「これから羊水の検査をします。麻酔はできないから、頑張ってください」
医師の手に握られていたのは、見たこともないほど太い針でした。
モニターを見ながら、ゆっくりと針がお腹に刺さっていく。痛い、なんてもんじゃありません。
激痛に意識が飛びそうになる中、お腹の子が動くと、その度に針が引き上げられ、やり直しになります。
逃げ出したくなるほどの苦痛と、嫌な油汗。今思い出してもゾクッとする、一生忘れることのできない壮絶な体験でした。
激痛のあとに残ったのは、これからの生活への漠然とした不安だけ。
あのとき、私の心には「安心できる場所」がどこにもありませんでした。
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お腹の赤ちゃんの無事を祈りながら、自分自身も極限の痛みと闘っている……。
「どうして私がこんな目に?」という問いに、誰も答えてくれない孤独な夜を過ごしていませんか。
私はこのサービスを当時は知りませんでした。でも、あの真っ暗な病室で、もしも「お金のことや将来のこと、大丈夫ですよ」と伴走してくれるプロの存在を知っていたら、もう少しだけ心を落ち着かせることができたのかもしれない……。そう思うのです。
今すぐ何かを決める必要はありません。ただ、「一人で抱え込まなくていい場所」がここにあるということ。それだけで、少しだけ呼吸が楽になるかもしれません。
※本記事は個人の体験談であり、特定のサービスを推奨するものではありません。保険加入の判断はご自身の責任でお願いいたします。
2. 「羊水の濁り」と、安堵の涙
放心状態で耐え抜いた検査の後、医師から「少し羊水が濁っているけれど、今すぐ危険な状態ではない」と告げられました。
濁りという言葉に不安は残りましたが、何より「生きている」という事実に、心の底から安堵しました。
目標は、ここでも「臨月まで安静に」。
けれど、その夜は一睡もできませんでした。
「本当は、あの子を温かくて心地よい場所で過ごさせてあげたかったのに、その場所を守ってあげられていない……」
そう思うと、申し訳なさで涙が止まりませんでした。
泣いてはお腹の子に良くないと分かっていても、心が安らぐことはありませんでした。
3. 22週という「法律の壁」と厳しい現実
主治医からの話は、さらに厳しいものでした。
• 命が助かっても、90%の確率で何らかの障害が残る可能性がある。
• 脳の血管が非常に細く脆いため、出産の刺激で血管が破裂する危険がある。
• 法律上、22週以降は「医療的に生存可能性がある」とみなされ、「あなたは、どんな状況であれ『産まなければならない』
医師の言葉の一つひとつが、鉛のように重く心にのしかかりました。
4. ただ、祈ることしかできない無力さ
臨月まで、あの子をこのお腹に留めておきたい。
でも、絶対安静の私にできるのは、天井を見つめて祈ることだけでした。
もう少しで、25週。
「頑張れ、我が子。頑張れ、私の体……」
暗い病室で、お腹に手を当て、まだ見ぬ我が子の生命力を信じることしかできませんでした。
【この記事のまとめ】
激痛の検査を乗り越え、突きつけられた過酷な未来予想図。
22週という「命の線引き」を超え、私たちは一つの運命を背負うことになりました。
次回、いよいよ訪れる「緊急帝王切開」。そして、742gという小さすぎる命との対面についてお話しします。
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超未熟児【第5話】25週の急変。絶体絶命の淵で重なり合った、命を繋ぐ「数々の奇跡」
※あくまで個人の体験であり、医療的なアドバイスではありません。診断や治療については、必ず専門の医療機関にご相談ください。