今日は大学病院での最終検査の日。
7月に乳がんを告知されてからというもの、私の体はまるで悲鳴を上げるように、次々と隠れていた不調を露呈させていきました。
※本記事はプロモーションを含みます。
1. 未知の臓器「副腎」との2ヶ月に及ぶ戦い
がんの広がりを調べるためのCT検査で偶然見つかった、左側の「副腎(ふくじん)」の腫れ。
そこから内分泌内科へ回され、気づけば2ヶ月もの間、何度も検査に通うことになりました。
ある日は絶食状態で、ベッドに2時間も拘束されながらの点滴と採血。
「2時間も何もしないで待つなんて」と最初は戸惑いましたが、スマホも触れない静寂の中で、私はいつの間にか深い眠りに落ちていました。
日中にこんなにゆっくり寝られるなんて、病気が教えてくれた皮肉な休息だったのかもしれません。
幸い、最終的な結果は「ホルモン分泌は正常」。
今すぐ治療が必要な状態ではありませんでしたが、今後5年間、年に一度の定期検診が確定しました。
自分の体の中にある、名前も知らなかった小さな臓器と、これから長く付き合っていく覚悟が決まった瞬間でした。
2. 持病の喘息と、忘れられない「医師との軋轢」
病院を駆け回る中で、長年付き合ってきた「喘息」の薬も欠かせません。
7、8年前に風邪薬を飲んで突然激しい発作を起こし、意識が遠のくほどの恐怖を味わって以来、私にとって呼吸ができることは当たり前ではないのです。
実は最近、以前通っていた近所の病院で、やりきれない思いをしました。
乳がんの治療で転院することを伝えた際、その医師から浴びせられたのは「相談もなしに勝手に移るなんて」という言葉の刃でした。患者である私の心よりも、手続きやプライドを優先されたような冷たさ。
結局、以前お世話になっていた別の先生の元へ戻ると、にっこり笑って「大丈夫ですよ」と受け入れてくれました。
病と戦う時、私たちは病気そのものだけでなく、こうした「人との繋がり」や「心のケア」にも必死にしがみついているのだと痛感します。
3. 形成外科で突きつけられた、再建手術の「傷跡」
副腎の結果に安堵したのも束の間、次に訪れた形成外科で、私はさらに大きな衝撃を受けることになります。
私の希望は、自分の腹部の組織を使う「自家組織再建」。
2月まで手術を待つリスクを背負ってでも、自分の一部で胸を取り戻したいと願っていました。
しかし、医師から渡された手書きの図には、想像もしなかった現実が描かれていたのです。
「再建した胸の中央に、楕円を描くような大きな術跡が残ります」
お腹に長く残る傷跡は覚悟していました。でも、胸のど真ん中にも……?
さらに追い打ちをかけるように、「乳頭まで再建する人はほとんどいない」という事実。
失ったものを取り戻そうともがけばもがくほど、新しい傷が増えていく。
その残酷な事実に、診察室で涙がこぼれそうになるのを必死で堪えました。
【PR:今、この瞬間を生きる自分を労わるために】
検査から検査へ、科から科へ。
病院の長い廊下を歩きながら、私は周りを見渡します。そこには、幼い子供たちや、もっと重い病と向き合っている人々が溢れていました。
「どうして私だけが」と嘆きたくなる夜もあります。でも、自分の体の不調を一つずつ洗い出し、向き合えている今は、ある意味で「これからの人生をより良く生きるためのリセット」なのかもしれません。
家族のために走り続けてきたけれど、これからは自分の体をもっと大切にしたい。
経済的な備えも、心のケアも、そして自分自身を労わる時間も。
一つずつ安心を形にしていくことが、今の私にとって一番の特効薬になるのだと感じています。
[PR] 家族と自分の未来を守る|プロに相談できる安心の保険選び
30社以上の【がん保険】から希望に合ったプランを専門家が探してくれる
ベビープラネットのがん保険相談サービス ![]()
【この記事のまとめ】
副腎の腫れ、卵巣や肝臓への不安、そして再建手術の厳しい現実。
乳がんという一本の糸を手繰り寄せたら、芋づる式に自分の体の弱さが見つかりました。
形成外科で受けたショックは大きく、心はまだ揺れています。
でも、副腎の異常がなかったこと、信頼できる先生に再会できたこと。そうした一つひとつの小さな光を繋ぎ止めて、私はまた前を向こうと思います。
身体の構造は本当に奥深く、そして心はそれ以上に繊細です。
夕暮れ時の病院を後にしながら、私は自分に言い聞かせました。「大丈夫、こうして自分の体を知ることができたのだから」と。
※本記事は個人の体験談であり、特定のサービスを推奨するものではありません。保険加入の検討については、ご自身の状況に合わせて専門家にご相談ください。
こちらの記事もあわせて読まれています。
実は、副腎の影に怯えていたこの時期、私の体にはもう一つの「限界」が訪れていました。
喘息の持病を抱えながら挑んだ、鼻の緊急手術。
それは、乳がんの手術を前に経験した、人生で最も過酷で激痛な1時間の記録でした……。
次回の記事へ >